リード
冷蔵庫に貼ってある絵を、毎週静かに入れ替えている人は多いはずだ。最初は紙からはみ出した線の塊だった。半年後、ぐるぐるが閉じて丸になった。さらに半年、丸から線が 2 本生え、それは「ぱぱ」と呼ばれていた。
その絵を「上手い」「下手」で見るのは、たぶん損な見方だ。なぜなら、なぐり描きから人物画に至るまでの道筋は、運動制御・図像記憶・象徴機能の発達が紙の上に並行して書き出されたものであり、そこには「絵が下手な時期」というものは原理的に存在しないからである。
この記事では、子どもの絵が辿る発達段階を古典研究から整理し、ついでに「絵から知能を測れる」という昔ながらの説がいまどう評価されているのかも見ておきたい。
なぐり描きには 20 の基本図形がある
子どもの絵の発達段階を最初に体系化した古典として、Rhoda Kellogg の仕事がある。Kellogg は 1948〜1966 年に世界各地で約 100 万枚の幼児画を収集し、なぐり描きを 20 の基本図形(縦線・横線・斜線・曲線・点など)に分解した [1]。これらが組み合わさって配置パターン、放射状の図、マンダラ、太陽、そして最後に人物像と「絵らしい絵」が現れる、というのが大まかな筋書きである [1]。
教育学者 Viktor Lowenfeld は同時期、6 段階のモデルを提示した。なぐり描き期(2〜4 歳)→ 前図式期(4〜7 歳)→ 図式期(7〜9 歳)→ … と続く構造で、特になぐり描き期は無秩序な殴り描き・統制された殴り描き・命名された殴り描きの 3 つに細分される [2]。「命名された殴り描き」とは、描いたあとに「これはママ」と名前を付け始める段階で、これは絵が運動の副産物から表象: 目の前にないものを心の中や記号で思い浮かべ・表す認知機能。象徴機能の発達を示す(何かを表すもの)へと意味を変える境目に当たる [2,3]。
3 歳前後で多くの子が描き始めるのが、いわゆる「頭足人(tadpole figure)」だ。丸い頭から直接、足が 2 本生えた人物像で、胴体が省かれる。Cox の総説によれば、頭足人は世界中の幼児に共通して現れ、頭が思考の中心であり、足が身体を立たせる、という幼児なりの内的モデルの抽出だと解釈されている [3,4]。
ここで重要なのは、これらの段階が「上達の階段」ではなく「描き方の系列」だということだ。下手から上手へ進むのではなく、なぐり描きにはなぐり描きの完成度があり、頭足人には頭足人の完成度がある。
「絵から知能が測れる」説の現在地
絵と認知発達の関係について、保護者世代がうっすら聞いたことがあるかもしれない検査がある。Florence Goodenough が 1926 年に開発し、Dale B. Harris が 1963 年に改訂した Draw-a-Person Test(DAP、人物画テスト)である [5]。子どもに「人を 1 人描いてください」と指示し、頭・胴・手足・指の本数などの要素を採点して知能の指標とする、というものだ。
ただし、現代の検証研究はこの「絵で知能を測る」という発想にかなり否定的だ。Wechsler 系の知能検査との相関は 0.27 程度と低く、知的機能の低い子を見つける用途には偽陽性・偽陰性の両方が多すぎることが指摘されている [6]。スクリーニング指標としては、運動発達質問紙(ASQ など)を補助する位置づけに退き、単独で IQ を語る道具ではなくなっている [7]。
つまり、「うちの子の絵は同年齢より単純だから心配」と読むのは、現在のエビデンスからすると過剰反応だ。絵の複雑さは、認知能力よりも微細運動の発達や、描く経験の量に大きく左右される [6]。
もう一段、面白い視点がある。認知科学者 Neil Cohn は、「絵を描けない」という大人の自己評価そのものを文化的に分析した。日本の子どもは欧米の子どもと比べてはるかに高い描画スキルを示すが、これは才能の差ではなく、漫画文化を通じて視覚的なスキーマ(描き方の語彙)を環境から豊富に獲得しているからだ、という議論である [8]。絵は言語と同じく、語彙とそれを組み合わせる規則からなるシステムであり、環境からの入力が増えれば誰でも上達する。「うちの子は絵の才能がない」と感じたなら、才能の話ではなく、模倣できる絵の量の話かもしれない、ということだ。
親が見るべきは「上手さ」ではなく「いつ何が現れたか」
ここまでを踏まえると、保護者が紙の前でできることは、案外シンプルになる。
ひとつは、技術的な指導を急がないこと。Kellogg や Lowenfeld の段階論が示すのは、なぐり描きから人物像への移行が、内発的な発達順序に沿って数年がかりで起こる、ということだ [1,2]。先回りして「丸はこう描くんだよ」と手を添えると、子ども自身の運動制御の獲得プロセスにノイズが入る恐れがある。手本を見せるのと、手を取って描かせるのは別の話だ。
もうひとつは、評価語彙を変えてみること。「上手」「下手」の代わりに、「丸が閉じるようになったね」「足が 2 本になったね」「これはなに?」と問いかける。これは Lowenfeld のいう「命名された殴り描き」を促す対話であり、運動と象徴をつなぐ働きを持つ [2]。子ども自身が描いたものに意味を与える経験は、後の物語的な絵やストーリー記述能力につながると考えられている。
そして、保存することだ。子どもの絵の発達は連続的で、その日その日では何が変わったか見えにくい。3 ヶ月、6 ヶ月、1 年と遡って並べたときに初めて、「丸が閉じた瞬間」「頭足人が現れた月」「胴体が描かれた週」が見える。Memori のような時系列で残せる仕組みを使えば、紙の写真として保存しておくだけで、後からこの軌跡を読み直せる。捨てるかどうかの判断は、上手いか下手かではなく、「今しか描けない形か」で決めるのが筋に合っている。
まとめ
子どもの絵は、運動と象徴と文化が同時に展開する場であり、そこに「下手な時期」は存在しない。なぐり描きの 20 図形 [1]、命名された殴り描き [2]、頭足人 [3,4]、そして人物像へ。各段階が次の段階の準備になっている。
絵から知能を読み取ろうとする古い枠組みは、現代の検証研究では支持されていない [6]。代わりに残るのは、その子がいつ何を描き始めたか、という記録の価値だ。
冷蔵庫に貼った絵を、上手さで採点するのをやめてみる。代わりに、いつそれが描かれたかを、日付ごと残してみる。それだけで、絵は別の意味を帯び始める。
References
- Kellogg R. Analyzing Children's Art. Palo Alto, CA: National Press Books; 1969.
- Lowenfeld V, Brittain WL. Creative and Mental Growth. 8th ed. New York: Macmillan; 1987. (初版 1947)
- Cox MV. Children's Drawings of the Human Figure. Hove: Lawrence Erlbaum Associates; 1993.
- Picard D, Durand K. Are young children's drawings canonically biased? J Exp Child Psychol. 2005;90(1):48–64. doi:10.1016/j.jecp.2004.08.005.
- Harris DB. Children's Drawings as Measures of Intellectual Maturity: A Revision and Extension of the Goodenough Draw-a-Man Test. New York: Harcourt, Brace & World; 1963.
- Imuta K, Scarf D, Pharo H, Hayne H. Drawing a close to the use of human figure drawings as a projective measure of intelligence. PLoS One. 2013;8(3):e58991. doi:10.1371/journal.pone.0058991. PMID: 23527063.
- Aminabadi NA, et al. Goodenough-Harris Draw-a-Man Test as a substitute of Ages and Stages Questionnaires for evaluation of cognition in children. Iran J Pediatr. 2018;28(4):e63946. PMCID: PMC6160634.
- Cohn N. Framing "I can't draw": The influence of cultural frames on the development of drawing. Cult Psychol. 2014;20(1):102–117. doi:10.1177/1354067X13515936.