リード
離乳食が始まる頃、保護者向けの情報の多くは「アレルギー」と「のどの詰まり」に集中する。重要なテーマであることは間違いない。ただ、もうひとつ、もっと静かに進む栄養上のリスクがある。鉄欠乏だ。
鉄欠乏には、顔色が悪くなる、機嫌が悪くなる、といったわかりやすい症状は出にくい。多くの場合、健診で偶然指摘されるか、血液検査で初めてわかる。にもかかわらず、6 ヶ月以降の乳児で意外に頻度が高く、長期の認知発達への影響が縦断研究で繰り返し示されている領域でもある。
本稿は、鉄欠乏について「煽る」のでも「軽く扱う」のでもなく、エビデンスのある範囲で、6 ヶ月以降に何が起きるかを整理する。
6ヶ月で胎児期の鉄ストックが切れる
胎児は妊娠後期に母体から鉄を受け取り、出生時にはおおむね 4〜6 ヶ月分の鉄を肝臓に蓄えて生まれる。この貯蔵鉄: 肝臓や脾臓などに蓄えられている予備の鉄。フェリチンとして貯蔵され、必要なときに赤血球の生成や酸素運搬に使われるは急成長する乳児期前半に少しずつ消費され、およそ生後 6 ヶ月で底をつく。それ以降は、食事からの鉄に依存する状態に切り替わる [1]。
問題は、6 ヶ月以降の主な食事源である母乳と離乳食の初期メニューが、いずれも鉄が豊富とは言い難いことだ。母乳の鉄含有量は低く、生体利用率は比較的高いものの、6 ヶ月以降の児が必要とする量を母乳だけでまかなうのは難しい。米国小児科学会(AAP)は 2010 年の臨床報告で、完全母乳栄養児では生後 4 ヶ月から離乳食での鉄補給が確立するまで、1 mg/kg/日の鉄補給が望ましいと推奨している [1]。欧州の ESPGHAN は健康な正期産児に対する一律補給は推奨していないが、鉄欠乏ハイリスク群(早産児、低出生体重児、母乳栄養で離乳の進みが遅い児など)には積極的な対応を求めている [2]。
立場は国によって違うが、共通している認識は単純だ。「6 ヶ月以降は、何もしないと足りなくなる可能性がある」。
日本の乳児で見える数字
日本国内の調査でも、6 ヶ月以降の鉄欠乏は決して例外的な状態ではない。
沖縄県の地域コホート(n=3,070)では、生後 6〜12 ヶ月の貧血有病率が 15.8%、16〜23 ヶ月では 4.2% と報告されている [3]。日本の別の調査では、生後 9〜10 ヶ月時点の貧血有病率が 29.1%、母乳栄養児に限れば 40.0% にのぼるという報告もある [4]。1 都市・1 コホートの数字ではあるが、桁感としては「ほぼ通過点に近い頻度」だ。
「フィンランドの研究と日本の研究と離乳食の中身が違う」「貧血の定義に研究間でばらつきがある」など、解釈にあたっての注釈はいくつもある。それでも、日本の母乳栄養児の少なくない割合が、9〜10 ヶ月時点で何らかの程度の鉄欠乏状態にあることは、独立したいくつかの研究で示されている [3,4]。
なお、こども家庭庁所管の「授乳・離乳の支援ガイド 2019 年改定版」も、母乳栄養児における 6 ヶ月時点でのヘモグロビン低下傾向に触れ、適切な時期に離乳を開始し、鉄やビタミン D の供給源となる食品を意識的に取り入れることの重要性を明記している [5]。日本の公的ガイドラインも、母乳一辺倒のリスクは把握している。
なぜ「見えにくい」のか
鉄欠乏が話題になりにくいのは、症状が静かに進むからだ。重度の貧血になれば顔色や活気で気づくが、多くは「鉄欠乏(貯蔵鉄が低下)」または「鉄欠乏性赤血球生成(赤血球生成に支障)」の段階にとどまり、明らかな貧血までは至らない。それでも認知・行動面への影響は早期から始まる可能性が指摘されている [6]。
最も引用される長期追跡研究のひとつが、Lozoff らによるコスタリカの縦断研究だ。乳児期に鉄欠乏性貧血を呈した児を 5 歳、11〜14 歳、19 歳と追跡し、鉄治療をしても、認知・運動・行動面の差が思春期以降まで残ることを繰り返し報告している [7,8]。とくに乳児期に重度かつ慢性的な鉄欠乏を経験した群は、数学・書字・空間記憶・選択的注意などで、思春期になっても対照群を下回るスコアが残った [7]。
この研究は「乳児期の数か月の鉄欠乏が、10 年後・20 年後の認知に影響しうる」という、いささか重い結論を持っている。注意すべきは、Lozoff の研究対象が 重度かつ慢性的な鉄欠乏性貧血 であり、軽度の鉄欠乏についての長期影響は同じ強さでは示されていないことだ。それでも、「とりあえず治せば元通り」とは言えない領域である、という事実は重い。
離乳食で鉄をどう積み増すか
煽らずに、できることだけ整理する。
6 ヶ月以降の離乳食で鉄を積み増す現実的な選択肢はいくつかある。AAP の臨床報告と日本の支援ガイドが共通して挙げているのは、次のような食材だ [1,5]。
- 鉄強化乳児用シリアル(米国では一般的、日本ではベビーフードに一部あり)
- 赤身肉・レバー(ペースト状にして少量から)
- 魚(特に赤身魚)
- 卵黄
- 大豆・豆腐・納豆
- 緑黄色野菜(ほうれん草・ブロッコリーなど。非ヘム鉄)
- ビタミン C を含む果物との組み合わせ(非ヘム鉄の吸収を高める)
ヘム鉄: 肉や魚などの動物性食品に含まれる、ヘモグロビン由来の鉄。植物性の非ヘム鉄より体内での吸収率がはるかに高い(肉・魚に含まれる)は非ヘム鉄(植物性食品の鉄)より生体利用率: 食べた栄養素が実際に体内で吸収・利用される割合。同じ量を食べても食品や組み合わせで利用率は大きく変わるが高く、少量でも効率がよい [1,2]。「離乳食後期に肉・魚をきちんと入れる」という方針は、それ自体が穏当な鉄欠乏予防になる。
逆に、1 歳前の牛乳の常用は明確な鉄欠乏リスクである。牛乳は鉄含有量が低く、しかも他の食品からの鉄吸収を阻害する。AAP は 1 歳までの牛乳摂取を勧めておらず、1 歳以降も大量摂取は鉄欠乏の独立リスクとされる [1]。フォローアップミルクの位置づけはこの文脈で理解しておきたい。日本の支援ガイドおよび小児科関連学会は、フォローアップミルクは「必須ではない」が、離乳の進みが遅い場合や鉄欠乏リスクが高い場合には選択肢になりうるという、穏当な書き方をしている [5]。普通の育児用ミルク(乳児用調製粉乳)は鉄が強化されており、9〜12 ヶ月に育児用ミルクを少量並行している家庭であれば、フォローアップミルクへの切り替えを急ぐ理由は乏しい。
9〜12ヶ月健診と血液検査
AAP は 生後 9〜12 ヶ月の時点で全乳児に対し鉄欠乏スクリーニング(ヘモグロビン測定)を行うことを推奨している [1]。日本では集団健診で血液検査が組み込まれている自治体は限られており、家庭の判断で個別に小児科を受診しないと検査されないことが多い。
「うちの子は離乳食をよく食べているから心配ない」と思いたくなるが、離乳食の量と鉄摂取量は必ずしも比例しない。炭水化物中心で進めている場合、量があっても鉄は乏しいことがある。9〜10 ヶ月健診で気になる点があったとき、あるいは母乳栄養で離乳の進みが緩やかなときは、血液検査を一度受けておくのは穏当な選択肢である。鉄欠乏は症状で気づきにくいことが、検査の価値を相対的に高くしている。
数日分の食事の写真を残しておけば、小児科の相談時に「ここ 1 週間、こんな感じです」と提示しやすくなる。Memori のような記録アプリのタイムラインでも、スマホのアルバムでも、媒体は問わない。意味があるのは、相談の精度を上げるための素材を、淡々と作り続けることだ。
まとめ
鉄欠乏は、6 ヶ月以降の乳児にとって決して稀ではない状態であり、症状が静かに進むぶん見えにくい [3,4]。長期の認知発達との関連も縦断研究で繰り返し示されている [7,8]。だからといって、すべての子にサプリメントを、という話ではない。離乳食に肉・魚・卵・大豆を確実に入れていく、1 歳前の牛乳常用は避ける、気になれば 9〜12 ヶ月で血液検査を受ける — エビデンスが穏当に支持しているのは、この程度のことだ。地味だが、地味ゆえに信頼できる。
References
- Baker RD, Greer FR; Committee on Nutrition, American Academy of Pediatrics. Diagnosis and prevention of iron deficiency and iron-deficiency anemia in infants and young children (0-3 years of age). Pediatrics. 2010;126(5):1040-1050. doi:10.1542/peds.2010-2576. PMID: 20923825.
- Domellöf M, Braegger C, Campoy C, et al.; ESPGHAN Committee on Nutrition. Iron requirements of infants and toddlers. J Pediatr Gastroenterol Nutr. 2014;58(1):119-129. doi:10.1097/MPG.0000000000000206. PMID: 24135983.
- Hokama T, Takenaka S, Hirayama K, et al. Community-Based Screening for Infantile Anemia in an Okinawan Village, Japan. Anemia. 2011;2011:278371. doi:10.1155/2011/278371.
- Kimura A, Maehara K, Kohama T, et al. High prevalence of anemia in 10-month-old breast-fed Japanese infants. Pediatr Int. 2018;60(8):700-705. doi:10.1111/ped.13588. PMID: 29729108.
- 厚生労働省. 授乳・離乳の支援ガイド(2019 年改定版). 2019. https://www.mhlw.go.jp/content/11908000/000496257.pdf
- Lozoff B, Beard J, Connor J, Felt B, Georgieff M, Schallert T. Long-lasting neural and behavioral effects of iron deficiency in infancy. Nutr Rev. 2006;64(5 Pt 2):S34-S43; discussion S72-S91. doi:10.1301/nr.2006.may.S34-S43. PMID: 16770951.
- Lozoff B, Jimenez E, Hagen J, Mollen E, Wolf AW. Poorer behavioral and developmental outcome more than 10 years after treatment for iron deficiency in infancy. Pediatrics. 2000;105(4):E51. doi:10.1542/peds.105.4.e51. PMID: 10742372.
- Lozoff B, Jimenez E, Wolf AW. Long-term developmental outcome of infants with iron deficiency. N Engl J Med. 1991;325(10):687-694. doi:10.1056/NEJM199109053251004. PMID: 1870641.