リード
予診票が郵送で届く。「つかまり立ちはできますか」「指差しをしますか」「いないいないばあに反応しますか」。チェック欄を埋めながら、できる項目とできない項目を交互に見て、なんとなく心拍が上がる。
健診当日、医師がパラシュート反射: 生後8〜9ヶ月頃から現れる、うつ伏せで急に頭を下げると両手を前に広げて体を支えようとする保護反射。神経発達の指標として観察されるを確認し、聴診器を当て、最後に短く「もう少し様子を見ましょうか」と言う。その「もう少し」が、家に帰ってからの数日間を支配する。
9〜10ヶ月健診は、保護者にとって最も情報量が多く、同時に最も不安が増幅しやすい健診のひとつだ。本稿では、この健診で医師が実際に見ているものと、見ていないものを分けて整理する。「気になる」と言われたときに、頭の中でなにが起きるかも合わせて考えたい。
9〜10ヶ月健診は法定ではない
まず制度の話から。日本の母子保健法で自治体の責任として実施が義務付けられている乳幼児健診は、1 歳 6 ヶ月児健診と 3 歳児健診の 2 つだけである。3〜4ヶ月、6〜7ヶ月、9〜10ヶ月の健診は、市区町村の任意事業として実施されており、自治体によって実施の有無・形態(集団/個別)・項目に幅がある [1]。
国立成育医療研究センターが公開している「乳幼児健康診査身体診察マニュアル」では、9〜10ヶ月時点で確認する項目として、姿勢・粗大運動(座位・つかまり立ち・ハイハイ)、パラシュート反射、視覚・聴覚反応、人見知り、模倣、把握パターン(鉗子つまみ)、離乳食の進行などが標準として挙げられている [2]。これらは医師が短時間で観察できる範囲で「定型発達からの大きな外れ」を検出するための項目であって、個々の発達の繊細なバリエーションを評価するためのものではない。
米国小児科学会(AAP)の Bright Futures(第 4 版)でも、9 ヶ月時点での標準項目として粗大運動・微細運動・社会性・コミュニケーションの 4 軸での観察と、保護者からの懸念聴取が組み込まれている [3]。さらに AAP は 2020 年の方針声明で、標準化されたスクリーニング検査を 9 ヶ月・18 ヶ月・30 ヶ月の健診で実施することを推奨しており、9 ヶ月は単なる節目ではなくスクリーニング上の意味を持つタイミングとして位置づけられている [4]。
「見ているもの」と「見ていないもの」を分ける
短時間の健診で医師が見ているのは、おおむね次の 4 つに整理できる。
- 粗大運動の到達状況(つかまり立ち・はいはい・座位の安定)
- 把握と微細運動(小さなものを親指と人差し指でつまむか)
- 社会的応答(人見知り、共同注視、声かけへの反応、いないいないばあへの反応)
- 食事の進行と体重曲線
一方、健診で「見ていない」あるいは「断定できない」ものもある。
- 自閉スペクトラム症: 社会的コミュニケーションの難しさと、特定の興味やパターンへの強いこだわりを特徴とする神経発達の特性。重症度や現れ方は連続的(スペクトラム)(ASD)の確定診断
- 軽度の発達のばらつきの将来予測
- 家庭での詳細な振る舞い(健診の場では普段と違う反応をすることが多い)
ASD のスクリーニングについていえば、米国で広く使われる M-CHAT-R は 16〜30 ヶ月児を対象として設計されており、9〜10 ヶ月時点では使えない [5]。9〜10 ヶ月で観察できるのは「ASD の前駆指標」と呼ばれる、より粗いシグナルだ。Zwaigenbaum らの ASD 児の年上きょうだいを追跡した縦断研究では、6 ヶ月時点での違いはごく限られているが、12 ヶ月までに視線・名前への反応・社会的微笑・模倣・感覚的振る舞いの領域でいくつかの差が観察できるとされている [6]。9〜10 ヶ月はこの「観察できるようになり始める時期」のちょうど手前にあり、医師は確定診断ではなくフラグ立てをしている。
つまり、「気になる」と言われたとき、それは「異常がある」ではなく「もう少し追跡する価値がある」のシグナルだ。両者は意味が大きく違う。
「気になる」と言われた夜のこと
それでも、健診で何かを指摘された日の夜は重い。多くの保護者が、その夜のうちに検索エンジンを開き、最悪のケースの記述に目が留まり、寝つきが悪くなる。これは性格や知識量の問題ではなく、健診というフォーマット自体が、短時間で情報を圧縮して渡す構造になっているからだ。
ここで頭に置いておきたい事実が 2 つある。
ひとつは、保護者の「気になる」という主観は、専門家の判断とよく一致すること。Glascoe らによる Parents' Evaluations of Developmental Status (PEDS) の研究系列では、保護者から系統的に聴き取った発達上の懸念は、標準化されたスクリーニング検査と同等に近い精度で、その後の発達上の問題を予測することが繰り返し示されている [7]。健診で医師が「気になる」と言うときも、家で保護者が「気になる」と感じるときも、どちらも情報源としての価値がある。
もうひとつは、早期相談のコストはほぼゼロだということ。AAP の発達サーベイランスのアルゴリズムは、保護者または医療者のいずれかが懸念を表明した時点で、標準化スクリーニングまたは専門医療への紹介に進むことを推奨している [4]。「念のため」で動くのが標準的な医療側の運用であり、相談しすぎて誰かに迷惑をかけることは構造的にほぼ起こらない。
逆に言えば、健診で何も言われなかったからといって「未来まで安心」というメッセージでもない。9〜10 ヶ月の所見と 2 歳・3 歳の発達は完全に連続するわけではなく、ASD の確定診断はむしろ 18 ヶ月以降のスクリーニングで明らかになっていく [5,6]。健診は通過点のスナップショットであって、保証書ではない。
健診当日に持っていくと話が早いもの
健診の制度的な限界がわかってくると、当日にできる準備の輪郭がはっきりする。
ひとつは、気になっていることをあらかじめ言語化しておくこと。短時間の診察で医師が自発的に拾える情報には限りがある。「特に気になることはないですか」と聞かれて、その場で思い出そうとすると、たいていうまく出てこない。前日の夜に、5 行でいいので家でのメモを書いておくと、健診の質が変わる。
- 最近できるようになったこと
- 1 週間以内に「あれっ」と思った瞬間
- 食事・睡眠・機嫌の傾向
- 同年齢の子と接して気になった違い
- 自分(保護者)の体調や気分
このうち最後の項目を入れているのには理由がある。9〜10 ヶ月健診は、保護者のメンタルヘルスがまだ揺れている時期に重なりやすい。AAP は乳児健診で養育者のメンタルヘルススクリーニングを並行して行うことを推奨しており、保護者の不調は子の発達軌跡にも影響しうると整理されている [4]。子のことだけでなく、自分のことも 1 行でいいので書いていい。
もうひとつは、普段の様子を撮った短い動画を 1 本持参すること。健診の場では、普段と違う反応をすることが多い。家庭で撮った 30 秒の動画があると、医師が「家ではこの動きが出るのか」と理解しやすくなる。Memori のような月齢順に動画と日々の記録が並ぶアプリだと、特定の月齢のメモと一緒に動画を引っ張り出しやすい。ツールの選択は本筋ではないが、動画ストックを 1 本持っているかどうかで、健診 10 分の中身は変わる。
まとめ
9〜10 ヶ月健診で見ているのは、定型発達からの大きな外れと、追跡が必要そうなフラグの 2 つだ。確定診断や将来予測ではない [2,4,6]。「気になる」と言われたとき、それは異常の宣告ではなく、もう一度見たいというサインに近い。
逆に、健診で何も言われなかった日でも、保護者が引っかかっているなら、相談する根拠としては十分である [4,7]。健診は制度の通過点であって、安心や不安の最終的な根拠ではない。子の毎日を一番見ているのは、医師ではなく、目の前にいる保護者だ。
References
- 国立成育医療研究センター. 改訂版 乳幼児健康診査身体診察マニュアル. 2018. https://www.ncchd.go.jp/center/activity/kokoro_jigyo/shinsatsu_manual.pdf
- 同上, 9〜10 か月児健診の章. 国立成育医療研究センター. 2018.
- Hagan JF, Shaw JS, Duncan PM, eds. Bright Futures: Guidelines for Health Supervision of Infants, Children, and Adolescents. 4th ed. American Academy of Pediatrics; 2017.
- Lipkin PH, Macias MM; Council on Children with Disabilities, Section on Developmental and Behavioral Pediatrics. Promoting Optimal Development: Identifying Infants and Young Children With Developmental Disorders Through Developmental Surveillance and Screening. Pediatrics. 2020;145(1):e20193449. doi:10.1542/peds.2019-3449. PMID: 31843861.
- Robins DL, Casagrande K, Barton M, Chen CA, Dumont-Mathieu T, Fein D. Validation of the Modified Checklist for Autism in Toddlers, Revised With Follow-up (M-CHAT-R/F). Pediatrics. 2014;133(1):37-45. doi:10.1542/peds.2013-1813. PMID: 24366990.
- Zwaigenbaum L, Bryson S, Rogers T, Roberts W, Brian J, Szatmari P. Behavioral manifestations of autism in the first year of life. Int J Dev Neurosci. 2005;23(2-3):143-152. doi:10.1016/j.ijdevneu.2004.05.001. PMID: 15749241.
- Glascoe FP. Evidence-based approach to developmental and behavioural surveillance using parents' concerns. Child Care Health Dev. 2000;26(2):137-149. doi:10.1046/j.1365-2214.2000.00173.x. PMID: 10759753.