寝返り・ハイハイ・つかまり立ち、月齢平均という暴力について

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対象
0〜1歳の子の保護者
文字数目安
2,500字
ステータス
ドラフト v2(査読付き論文を中心に出典付与)

リード

「平均6ヶ月で寝返り」と書いてある。今、目の前の子は7ヶ月で、まだ寝返りをしない。

その瞬間、頭の中で何かが起きる。「うちの子は遅れている」と一度思ってしまうと、その日のうちに数回、その考えが戻ってくる。育児書をもう一度開く。SNSで同月齢の子を探してしまう。仕事の合間にも、ふと思い出す。

これは親の弱さではない。「平均」という数字が持つ、奇妙な引力のせいだ。本来は集団全体をざっくり要約するための便宜的な指標が、目の前のひとりの子に当てはめられた瞬間、まるで合格ラインのように見えてしまう。

この記事では、月齢の「平均」がなぜ個別の子に対してしばしば無力で、ときに有害ですらあるのかを、統計の話を経由しながら整理する。そのうえで、「比較しない」ではなく「比較しても自分を責めずに済む言語」を持てないか、を考えてみたい。

平均・中央値・正常範囲は、別の話をしている

まず用語の整理から。

平均は、全員の値を足して人数で割ったもの。極端な早い子・遅い子に引っ張られる。

中央値は、全員を順番に並べたときの真ん中の値。半分の子はそれより早く、半分は遅く達成する。

正常範囲は、たいてい「上下5%や1%を除いた、大多数が入る幅」のことを指す。中心ではなくを見る指標だ。発達の検査として広く使われてきた(DDST)は、各項目について25・50・75・90の年齢を帯で示しており、最初から「点」ではなく「幅」で発達を捉える設計になっている [1]。

「平均6ヶ月で寝返り」と書かれているとき、それは多くの場合、中央値に近い値であり、しかも幅の情報が抜け落ちている。本当に知りたいのは「うちの子はその幅のどこにいるか」のはずなのに、一点だけが切り出されると、まるで6ヶ月という線を踏むか踏まないかの試験のように見えてしまう。

統計の数字は、集団を語る言語であって、ひとりの子を語る言語ではない。これは冷たい話ではなく、むしろ救いになる事実だ。

WHO の調査が見せた「幅」の広さ

世界保健機関(WHO)は、ガーナ・インド・ノルウェー・オマーン・米国の 5 ヶ国で生後 4〜24 ヶ月の乳児 816 名をに追跡した運動発達の研究を実施した [2]。お座り・つかまり立ち・はいはい・つたい歩き・ひとり立ち・ひとり歩きの 6 つの粗大運動について、達成月齢を毎月の訪問観察と保護者記録の両方から推定している。

そこで報告された幅は、想像よりもずっと広い。1 パーセンタイル(最も早い側 1%)と 99 パーセンタイル(最も遅い側 1%)の達成月齢は次のとおりである [2]。

ひとり歩きの幅は 9.4 ヶ月、ひとり立ちで 10.0 ヶ月にのぼる [2]。さらに同研究は、約 4.3% の子がはいはい(hands-and-knees crawling)の段階を踏まずに次に進むことも報告している [2]。順番すら、誰にとっても同じではない。

この知見は WHO だけのものではない。乳児ロコモーションを精緻に追跡した Adolph の研究では、はいはい・つたい歩き・歩行の各段階で個人差がきわめて大きく、達成順序そのものが連続的ではないことが繰り返し示されている [3]。

これだけの幅を持つ現象を、「平均◯ヶ月」という一行に圧縮した瞬間に、9 ヶ月分の正常な多様性が消える。消えた幅のなかに、自分の子はたぶん、ふつうに含まれている。

「平均より遅い」と「相談したほうがいい」は別

ここで丁寧に分けたいのは、「平均より遅い」ことと「専門家に相談する目安」は、まったく別の話だということだ。

(CDC)は 2022 年に乳幼児発達マイルストーンの基準を全面改訂し、「75% の子が達成する月齢」をスクリーニング上の目安として採用した [4]。同じ改訂で、ひとり歩きの提示月齢は 12 ヶ月から 15 ヶ月へ修正された [4]。さらに「はいはい」はマイルストーンから除外された。理由は、定義の不統一、達成月齢のばらつきの大きさ、そして定型発達の児であっても必ず通過するわけではないことが先行研究で示されたためである [4]。

日本国内のデータも、似た幅を示す。こども家庭庁が 2024 年に公表した令和 5 年乳幼児身体発育調査では、寝返りができると回答された乳児の割合が 90% を超えるのは生後 6〜7 ヶ月未満であり、はいはいでは生後 10〜11 ヶ月未満である [5]。「90% に達するライン」を見るとき、それより遅い 10% の側にいる子も、当然のように存在する。

つまり、相談すべきかどうかの判断軸は、「平均からどれくらい遅れているか」ではなく、「正常範囲を出ているかどうか」「他の発達指標と矛盾していないか」「保護者が見ていて気になる動きがあるか」のほうにある [1,4]。

「平均より遅い、だから心配」ではなく、「気になる、だから相談する」でいい。理由は単純で、相談はコストが低く、誤って相談しても誰も損しないからだ。早いに越したことはなく、遅すぎる相談はあっても、早すぎる相談はない。気になったら、平均と比べる前にまずかかりつけ医に話す。これがいちばん健全な順序だと考える。

「比較しない」ではなく「比較してもいい言葉」を持つ

「他の子と比較しないようにしましょう」というアドバイスをよく見る。趣旨はわかる。ただ、現実には比較してしまう。同じ月齢の子の動画を見れば差は目に入るし、健診の待合室では他の子の様子が視界に入る。比較しない、という意志の力で乗り切るのは難しい。

実際、子をもつ親のソーシャルメディア上での比較行動を縦断的に追った研究では、SNS 上で他の親と比較した直後にネガティブな感情を経験すると、その後の親自身のストレスや抑うつ得点の上昇、の低下が一貫して観察されている [6,7]。比較すること自体は止められないが、比較したあとの感情が事後の心理状態に影響することはデータでも裏付けられている

そこで、比較を止めるのではなく、比較したあとで自分を責めずに済む言葉を、いくつか持っておくほうが現実的だと考える。たとえば、

これらは慰めではなく、事実だ。事実を持っておくと、SNS で隣の子の動画を見た夜にも、頭のなかで反論できる。気持ちで戦うより、情報で戦うほうが、長く続く。

それから、もうひとつ。比較対象を「他の子」から「過去の自分の子」に切り替える、という選択肢もある。先月できなかったことが今月できているか、という縦軸での観察は、平均という横軸とは別の情報をくれる。Memori のような月齢順に記録できるアプリで自分の子の半年前を遡るのは、隣の家を覗くより、たいていずっと豊かな読書になる。

記録機能と、他の子との比較機能は、別物

最後に、誤解を避けるために書いておく。

近年の育児記録アプリやサービスのなかには、「同月齢の子の◯%が達成」のような他者比較を表示するものもある。情報として有用な場面はあるが、その数字を見るかどうかは、機能の有無とは別に、自分で選んでいい。先述のとおり、他者比較への接触自体がネガティブ感情と養育自己効力感低下を媒介する経路が示されている以上 [6,7]、見るかどうかは健康な判断の対象になり得る。

平均という言葉が出てくるたびに、自分の子がそこから何ヶ月離れているかを計算してしまう癖がついている人は、しばらくその数字から距離を置いてもいい。記録は続け、比較表示だけ閉じる、というのは十分にあり得る運用だ。記録の価値は比較ではなく、その子自身の時系列のなかにある。

まとめ

「平均6ヶ月で寝返り」という一行は、便利だが、ひとりの子に当てる定規としては解像度が粗すぎる。平均・中央値・正常範囲は別の話をしていて、相談すべきラインは平均ではなく範囲の外側、もしくは保護者の違和感にある [1,4]。

比較を意志でやめるのは難しい。比較してしまった夜のために、事実を 1 つか 2 つ、手元に置いておく。それは「気にしないで大丈夫」という慰めよりも、たぶん長く効く。

平均は集団の話だ。目の前にいるのは、集団ではない。


References

  1. Frankenburg WK, Dodds JB. The Denver developmental screening test. J Pediatr. 1967;71(2):181–191. doi:10.1016/S0022-3476(67)80070-2. PMID: 6029467.
  2. WHO Multicentre Growth Reference Study Group; de Onis M. WHO Motor Development Study: windows of achievement for six gross motor development milestones. Acta Paediatr Suppl. 2006;450:86–95. doi:10.1111/j.1651-2227.2006.tb02379.x. PMID: 16817682.
  3. Adolph KE. Learning in the development of infant locomotion. Monogr Soc Res Child Dev. 1997;62(3):I–VI, 1–158. PMID: 9394468.
  4. Zubler JM, Wiggins LD, Macias MM, et al. Evidence-Informed Milestones for Developmental Surveillance Tools. Pediatrics. 2022;149(3):e2021052138. doi:10.1542/peds.2021-052138. PMID: 35132439.
  5. こども家庭庁. 令和 5 年乳幼児身体発育調査の概況. 2024. https://www.cfa.go.jp/policies/boshihoken/r5-nyuuyoujityousa
  6. Glatz T, Daneback K, Sorbring E. Parents' Feelings, Distress, and Self-Efficacy in Response to Social Comparisons on Social Media. J Child Fam Stud. 2023;32:2812–2823. doi:10.1007/s10826-023-02611-2.
  7. Coyne SM, McDaniel BT, Stockdale LA. "Do you dare to compare?" Associations between maternal social comparisons on social networking sites and parenting, mental health, and romantic relationship outcomes. Comput Human Behav. 2017;70:335–340. doi:10.1016/j.chb.2016.12.081.