「初めての笑顔」はいつ?— 体感と医学的目安のズレに、誠実に向き合う

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対象
0〜1歳の子の保護者
文字数目安
2,400字
ステータス
ドラフト v2(査読付き論文を中心に出典付与)

リード

「うちの子、生後3日でもう笑ったんです」と言う親がいる。「いえ、本当に笑ったのは2ヶ月過ぎてからでした」と言う親もいる。どちらも嘘をついていない。どちらも自分の目で見たものを、そのまま話している。

それなのに、育児書を開くと「初めての笑顔は生後6〜8週ごろ」と書かれていて、戸惑う。自分が見たあの笑顔は、何だったのか。早すぎたのか、遅すぎたのか、勘違いだったのか。

この食い違いの正体は、実は単純だ。「笑顔」という一語のなかに、医学的にはまったく別の現象が二つ詰め込まれている。そして、どちらを「初めて」と数えるかは、本来、親が決めていい問題でもある。

「笑顔」と呼ばれている二つの別物

医学的には、乳児の笑みは大きく二段階に分けて語られる。

ひとつは(内因性微笑、endogenous smile)。生後数日から見られ、眠っているときやウトウトしているときに、口角がふっと上がる現象を指す。Wolff の古典的な縦断観察以来、これは外界の刺激と無関係に、特に様の状態のもとで生じる内因性の表情だと整理されてきた [1,2]。生後数週間のあいだは、新生児期の睡眠中の微笑がもっとも頻繁に観察される時期でもある [2]。

もうひとつは(exogenous smile)。これは人の顔や声に反応して、こちらを見て笑い返す現象で、Wolff の記述に始まる発達タイムテーブルではおおむね生後5〜9週、現代の総説でも生後6〜8週ごろの出現が標準的とされる [1,2]。Messinger と Fogel のレビューは、この時期に乳児の覚醒度・注視の制御・養育者との顔と顔の相互作用の質が同時に変化し、外界に向けられた微笑が立ち上がることを記述している [1]。

新生児微笑は「中身のない笑顔」、社会的微笑は「あなたに向けられた笑顔」。粗く言えばそういう違いになる。育児書が「初めての笑顔は6〜8週」と書くとき、それはたいてい後者を指している。

ただし出現の幅は大きく、ドイツとカメルーンの母子を縦断比較した Wörmann らの研究では、6週時点ですでに頻繁に社会的微笑を見せる乳児と、12週まで頻度が控えめにとどまる乳児が同居しており、養育者側の対面相互作用の量とも関連していた [3]。「6〜8週」という数字は中央値に近い目安であって、合格ラインではない。

体感は、なぜズレるのか

ところが、実際に育児をしていると、医学の定義どおりにきれいに二分できない瞬間が多発する。

生後10日目、授乳の合間に目が合った気がして、口角がすっと上がった。あれは本当に偶然の生理的微笑だったのか。それとも、何か感じてくれていたのか。問い詰めようがないし、ビデオを巻き戻しても答えは出ない。

ここで二つのことが起きている。ひとつは、新生児微笑と社会的微笑の境界そのものが、現実にはグラデーションだということ。神経の発達は連続的な過程であり、ある朝を境にスイッチが切り替わるわけではない [1]。研究者が便宜上引いた線が、目の前の子の中で同じ場所に引かれているとは限らない。

もうひとつは、観察者である親側のバイアスだ。発達マイルストーンの達成時期を後から振り返って報告する研究では、親の記憶は大筋では正しい一方、達成月齢を実際より遅めに圧縮してしまう「」と呼ばれる誤差が知られている [4]。Majnemer と Rosenblatt の縦断研究も、初語や独歩のような分かりやすいイベントですら、3歳・5歳時点で親が再現できる達成月齢には数ヶ月単位のずれが生じうると報告している [5]。

つまり「初めての笑顔」の体感は、子の発達の事実だけでなく、親が見ていた時間と、見ていた角度と、その瞬間の自分の心の状態と、後から振り返るときの記憶の歪みの合成物だ。隣の家の親と4週ズレるのは、子が違うからでもあるが、観察者が違うからでもある。

どちらが「正しい初笑い」か、を決めなくていい

ここで誠実でいたいのは、医学的な定義のほうが「正解」で、体感のほうが「勘違い」だ、と片付けないことだ。

社会的微笑の出現時期を医学的に押さえておくことには意味がある。たとえば3ヶ月を大きく過ぎても人の顔への反応がほとんど見られない場合、視覚や聴覚、神経発達についてかかりつけ医に相談する判断材料になる [1]。Tronick らの「」実験以降の一連の研究は、生後2〜3ヶ月の乳児がすでに養育者の表情の変化に対して微笑を増減させ、視線を逸らすことで応答していることを示しており、社会的微笑は単なる装飾ではなく、相互作用のサインそのものだとわかってきている [6]。だからこそ、その出現時期の目安は、便利な目安として機能する。

一方で、生後10日に見えた口角の動きを「あれは反射でした、無意味でした」と切り捨てるのも、違う種類の不誠実さだ。その瞬間に親が受け取った感情は実在したし、それが新生児期の親の心を支えていたなら、その事実そのものに価値がある。意味は、現象側ではなく、受け取る側でも生まれる。

医学の言葉と体感の言葉は、競合しない。同じ出来事を、別の解像度で見ているだけだ。顕微鏡で見ても肉眼で見ても、対象が同じ子であることは変わらない。

両方を、別々に書き残す

この二重性に折り合いをつけるいちばん穏やかな方法は、両方をそのまま記録に残すことだと考える。先述のとおり、親の記憶はあとから圧縮されやすい [4,5]。曖昧になる前に、その日のうちに一行ずつでも書き留めておくことには、回想バイアスへの素朴な処方箋という意味もある。

たとえば、こんなふうに分けて残してみる。

日付が4週ズレていても、どちらも消す必要はない。前者は親自身の心の支えとして、後者は発達の節目として、別々の意味を持って残る。Memori のような育児記録アプリを使うなら、ひとつの「初めて」欄に押し込まずに、出来事として並列に書いておくほうが、後で読み返したときに豊かになる。

子の人生のもっとも早い数年は、本人の自伝的記憶にはほぼ残らない。成人の最初期記憶の平均年齢は3〜4歳とされ、3歳時点で覚えていた出来事も7歳前後を境に急速に忘却される [7]。つまり、新生児期の笑顔の記録は、子が自分では持ちえない自分自身の歴史を、親が代わりに保管している営みでもある。

まとめ

「初めての笑顔」をめぐる戸惑いは、子の発達の問題ではなく、ひとつの言葉のなかに別の現象が同居している問題だ。新生児微笑と社会的微笑、どちらが本物かを決める必要はない [1,2]。

体感を否定せず、医学的事実も否定せず、両方を別の名前で残しておく。それだけで、4週のズレは矛盾ではなく、二つの記念日になる。

最初に微笑みかけられた気がした日のことを、まだ覚えているうちに書いておきたい。


References

  1. Messinger D, Fogel A. The interactive development of social smiling. Adv Child Dev Behav. 2007;35:327–366. doi:10.1016/B978-0-12-009735-7.50014-1. PMID: 17682330.
  2. Wolff PH. The Development of Behavioral States and the Expression of Emotions in Early Infancy: New Proposals for Investigation. Chicago: University of Chicago Press; 1987.
  3. Wörmann V, Holodynski M, Kärtner J, Keller H. A cross-cultural comparison of the development of the social smile: a longitudinal study of maternal and infant imitation in 6- and 12-week-old infants. Infant Behav Dev. 2012;35(3):335–347. doi:10.1016/j.infbeh.2012.03.002. PMID: 22721734.
  4. Hus V, Taylor A, Lord C. Telescoping of caregiver report on the Autism Diagnostic Interview—Revised. J Child Psychol Psychiatry. 2011;52(7):753–760. doi:10.1111/j.1469-7610.2011.02398.x. PMID: 21410473.
  5. Majnemer A, Rosenblatt B. Reliability of parental recall of developmental milestones. Pediatr Neurol. 1994;10(4):304–308. doi:10.1016/0887-8994(94)90126-0. PMID: 8068156.
  6. Mesman J, van IJzendoorn MH, Bakermans-Kranenburg MJ. The many faces of the Still-Face Paradigm: A review and meta-analysis. Dev Rev. 2009;29(2):120–162. doi:10.1016/j.dr.2009.02.001.
  7. Bauer PJ, Larkina M. The onset of childhood amnesia in childhood: A prospective investigation of the course and determinants of forgetting of early-life events. Memory. 2014;22(8):907–924. doi:10.1080/09658211.2013.854806. PMID: 24236647.