リード
生後2ヶ月の乳児は、まだ百日咳ワクチンを1回も打っていない。DTaP初回接種は生後2〜3ヶ月が標準だからだ。問題は、その空白の時間に百日咳ウイルスが接近してくることがある、という点にある。
感染源として多いのは、子どもではなく大人だ。免疫が消退した親や祖父母が感染し、「長引く咳」として気づかないまま、新生児と同じ空間で過ごす。乳児では「咳が出ない」ことさえあり、代わりに無呼吸発作: 呼吸が一時的に停止する発作。乳児百日咳では激しい咳の代わりにこれが現れ、酸欠で顔色が変わるサインになる(apnea)として現れることがある。乳児百日咳は、先進国でも死亡率が1〜4%に達する [1]。
「コクーニング戦略: まだワクチンが打てない新生児・乳児を、周囲の家族・保育者が先に接種することで「繭(まゆ)」のように包んで守るという公衆衛生上の発想」という考え方がある。ワクチン未完了の乳児を守るために、周囲の大人が接種で「繭」を作るアプローチだ。この記事では、百日咳の特殊性と、家族接種の実際の意味を整理する。
百日咳という疾患の特殊性
百日咳菌(Bordetella pertussis)が引き起こす感染症は、3つの病期に分かれる。
カタル期(1〜2週): 鼻水や軽い咳。普通の風邪と区別がつかず、この時期が最も感染力が強い。
痙咳期(2〜6週): 「ウープ(whoop)」と呼ばれる笛のような吸気音を伴う激しい咳の発作が特徴。ただし乳児では典型的なウープが出ないことも多く、代わりに咳の後に呼吸が止まる(apnea)という危険な経過をたどる。
回復期(数週間): 徐々に軽快するが、咳が完全に消えるまで数ヶ月かかることもある。「百日咳」という名は、この長い経過に由来する。
成人の百日咳は「2週間以上続く咳」として現れることが多く、特別な症状がないため気づかれにくい。一方、乳児に感染すると重症化のリスクが高く、入院・ICU管理が必要になるケースも少なくない。
免疫はなぜ消えるのか
DTaP(ジフテリア・破傷風・百日咳混合)ワクチンは日本では生後2〜3ヶ月から定期接種が行われる。有効性は高いが、免疫の持続期間には限界がある。自然感染後の免疫も同様で、接種または感染から5〜7年で保護的なレベルを下回るとされる [2]。
これは「再接種しない限り、成人は百日咳に感染しうる」ことを意味する。先進国での百日咳の再流行が報告されているのはこのためで [3]、2024年は日本でも届け出患者数が増加した [4]。
子どもは定期接種スケジュール通りに打てば一定の保護を得られる。問題は、接種が完了するまでの乳児期初期に、感染源となりうる大人が身近にいるという構造だ。
Cocooning戦略と妊婦接種
この問題への対策として、「コクーニング戦略」が提唱されている。新生児と濃厚接触する可能性のある人々(両親、同居の祖父母、保育者など)が、出産前後にTdap(成人用破傷風・ジフテリア・百日咳混合)ワクチンを接種することで、新生児の周囲に感染しにくい環境を作ろうとするアプローチだ。
より直接的なエビデンスとして、妊娠中の母親へのTdap接種がある。英国での観察研究では、妊娠中にTdapを接種した母親の乳児では、百日咳による入院リスクが91%低下したと報告されている [5]。母体の抗体が胎盤を通じて胎児に移行し、生後早期の保護に働くと考えられている。
Tdapは成人が過去にTdワクチン(破傷風・ジフテリア)を接種していても、百日咳の追加免疫として有効だ [6]。「子どもは打ったが、自分は何十年も打っていない」という保護者は、接種歴を確認する価値がある。
家庭でできること
ワクチン接種以外にも、発症前後に取れる行動がある。
- 新生児の周囲で2週間以上の咳が続いている大人がいる場合、百日咳の可能性を念頭に受診を検討する。PCRや抗体検査で確認できる。
- 乳児のDTaP初回接種(生後2〜3ヶ月)が完了するまでの期間は、感染者との近距離接触を可能な限り避ける選択肢がある。
- 「乳児が咳の後に顔色が変わる」「呼吸が止まるように見える」場合は、速やかに救急受診を。無呼吸発作は迅速な対応が必要になる。
記録という観点でも、乳児の体調変化を日付・症状・経過とともに記録しておくことが、受診時の情報提供に役立つ。咳の様子や呼吸の変化は、口頭で説明しにくいことが多い。
まとめ
百日咳は「昔の病気」ではなく、免疫消退した成人を感染源として現在も流行を繰り返している。最もリスクが高いのは、ワクチン未完了の乳児期初期だ。コクーニング戦略と妊婦へのTdap接種は、その空白を埋めるための選択肢として位置づけられる。乳児が自分で自分を守れない期間、周囲の大人の免疫状態が直接的な意味を持つ。
References
- Cherry JD. Epidemic pertussis in 2012 — the resurgence of a vaccine-preventable disease. N Engl J Med. 2012;367(9):785–787. doi:10.1056/NEJMp1209051. PMID: 22931315.
- Wendelboe AM, Van Rie A, Salmaso S, Englund JA. Duration of immunity against pertussis after natural infection or vaccination. Pediatr Infect Dis J. 2005;24(5 Suppl):S58–61. doi:10.1097/01.inf.0000160914.59160.41. PMID: 15876927.
- Skoff TH, Hadler S, Hariri S. The epidemiology of nationally reported pertussis in the United States, 2000–2016. Clin Infect Dis. 2019;68(10):1634–1640. doi:10.1093/cid/ciy757. PMID: 30212798.
- 国立感染症研究所. 百日咳 感染症発生動向調査. IASR. 2024.
- Amirthalingam G, Andrews N, Campbell H, et al. Effectiveness of maternal pertussis vaccination in England: an observational study. Lancet. 2014;384(9953):1521–1528. doi:10.1016/S0140-6736(14)60686-3. PMID: 25037990.
- Gall SA, Myers J, Picicchero M. Maternal immunization with tetanus-diphtheria-pertussis vaccine. Am J Obstet Gynecol. 2011;204(4):334.e1–5. doi:10.1016/j.ajog.2010.11.024. PMID: 21186366.