リスク評価の読み方 — パラケルスス、ADI、NOAEL、安全係数 100

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対象
食品添加物・化学物質の安全性情報に接するすべての保護者
文字数目安
2,300字
ステータス
ドラフト v1

リード

「この成分は危険」「無添加だから安心」という言葉を、育児メディアで目にしない日がほとんどない。

しかし「危険か、安全か」という二項対立でしか語られないとき、読者が受け取れる情報量は極めて貧しい。その言説の前に、500年近く前に書かれた一文を置きたい。

1538年、医師にして錬金術師でもあったパラケルスス(Theophrastus von Hohenheim)は、『七つの弁明(Septem Defensiones)』の第三弁明でこう書いた。

「Alle Ding sind Gift und nichts ohn Gift; allein die Dosis macht, daß ein Ding kein Gift ist.」 (すべての物は毒であり、毒でないものなど存在しない。ただ用量だけが、ある物が毒でないということを決定する)

この一文は、自分が処方した化学物質を「毒薬を使う医師」と批判されたことへの反論として書かれた。当時の医師たちが使っていた薬草も、量を誤れば致死的だ。重要なのは物質の名前ではなく、どれほどの量が体内に入るかだ――そうパラケルススは主張した [1]。

現代の毒性学(toxicology)が積み上げてきたすべての概念――LD50、NOAEL、ADI、安全係数、用量応答曲線――は、この一文の各論にすぎない。食品添加物や生活用品の安全性を読み解くには、この枠組みを最初に手に入れる必要がある。

毒性をどう測るか — LD50 から NOAEL へ

毒性試験の最も基本的な指標は (半数致死量)だ。ある物質を実験動物に投与したとき、50%が死亡する用量を体重 1 kg あたりの mg で表す。食塩の LD50 はラットで約 3,000 mg/kg、カフェインは約 200 mg/kg という具合に、あらゆる物質に値がある [1]。LD50 は物質の比較に使えるが、「何 mg まで摂っていいか」という問いには直接答えられない。

実際の安全評価で中心になるのは (無毒性量:No Observed Adverse Effect Level)だ。動物に物質を慢性的に投与し、いかなる悪影響も観察されない最大用量を指す。急性毒性(LD50)、亜慢性毒性(90日試験)、慢性毒性(2年間試験)、発がん性、生殖・発生毒性と、毒性試験は複数の層からなる。NOAEL は、そのすべての試験を通じて影響が出なかった最高用量から決まる。

安全係数 100 の構造

1954年、米国食品医薬品局(FDA)の Lehman と Fitzhugh は、動物実験の NOAEL から人間にとっての安全量を導く際に 100 倍の安全係数(margin of safety) を適用することを提唱した [2]。この 100 という数字には、明確な内訳がある。

この 2 つの 10 倍を掛け合わせた 100 倍が、標準の安全係数だ。NOAEL を 100 で割ることで ADI(1 日許容摂取量:Acceptable Daily Intake)が導かれる [2,3]。

その後、Renwick はこの 10 倍の内訳をさらに精緻化した。種間差の 10 倍は、薬物動態(体内での吸収・代謝・排泄)の差と、薬力学(標的臓器での感受性)の差に、それぞれ √10(約 3.16 倍)ずつ割り当てられる [3]。個体差についても同じ論理で分割できる。これにより、特定の物質でデータが揃っている場合には、デフォルトの安全係数をより精緻な値に置き換えられる。

ADI とは何か、何でないか

は「一生涯にわたって毎日摂取し続けたとしても、健康への悪影響が認められないと判断される量」であり、体重 1 kg あたりの mg で表される [4]。FAO/WHO の合同専門家委員会(JECFA)が各食品添加物について評価・公表している。

ADI の重要な前提は「生涯摂取」だ。毎日、365 日、何十年にもわたって摂り続けることを想定した値に、さらに 100 倍の余裕を持たせてある。現実の暴露量(実際に摂取する量)は ADI を大幅に下回ることが多い。

TDI(1 日耐容摂取量:Tolerable Daily Intake)は、食品添加物のように意図的に加えられた物質ではなく、環境汚染物質や自然由来の有害物質に使われる用語だ。概念は ADI と同じで、安全係数を用いて導く。

Hormesis — 低用量で効果が逆転する現象

毒性学には、単純な「用量が増えれば毒性が増す」という線形モデルに収まらない現象がある。(ホルミシス) と呼ばれる、低用量で刺激的・有益な効果が見られ、高用量では阻害・毒性効果が現れる二相性の用量応答関係だ。

Calabrese と Baldwin はこの現象を体系的に整理し、多くの毒性研究データベースを分析した結果、ホルミシスが例外的な現象ではなく広く観察されることを示した [5,6]。低用量刺激の大きさはコントロール値の平均 1.5 倍程度であることが多く、その範囲も限定的だという。

ただし、ホルミシスの発見が「少量なら問題ない」という主張に直結するわけではない。Grandjean が指摘するように、のように低用量域でも問題を起こし得る物質が存在すること、発達期の暴露が成人の暴露とは異なるリスクを持つ可能性があること、混合暴露の影響など、古典的な用量応答概念が複雑化してきていることも現代毒性学の正直な姿だ [1]。

「危険か安全か」への明示的な距離取り

リスク評価の実務において、ある物質が「安全」か「危険」かという問いに対して、毒性学者が用いる言葉は「ある用量・ある暴露状況における健康リスクの大きさ」だ。物質そのものにラベルを貼る言語ではない [4]。

Vermeire らが指摘したように、安全係数の枠組みは不確実性と個体差を明示的に取り込む設計になっている [3]。「この成分は ADI の何%を占めるか」という問いが、「危険か否か」という問いよりも情報量が多い。

保護者として日常的な選択をするうえで、この枠組みを完全に習得する必要はない。ただ、「危険か安全か」の二値で語られる情報には、物質名・用量・暴露量・評価対象(急性か慢性か、乳幼児か成人か)という文脈が抜け落ちている可能性が高いことを知っておくことで、受け取る情報の解像度は変わる。

記録という行為は、その点でも意味を持つ。食事や生活用品の記録が蓄積すると、「この家庭の子どもが実際に何にどれくらい暴露されているか」が見えてくる。暴露量の推定は、リスク評価の最初の一歩だ。

まとめ

パラケルスス以来500年間、毒性学の核心は変わっていない。問題は物質の名前ではなく、用量と暴露の文脈だ。NOAEL・安全係数100・ADIという枠組みは、その問いに定量的に答えようとする人類の積み重ねである。

「無添加だから安全」「この成分が入っているから危険」という言説の多くは、この枠組みを経由していない。その言説を受け取るたびに、「用量はいくらか」「安全係数は何か」という問いを一段挟む習慣が重要である。


References

  1. Grandjean P. Paracelsus Revisited: The Dose Concept in a Complex World. Basic Clin Pharmacol Toxicol. 2016;119(2):126–32. doi:10.1111/bcpt.12622. PMID: 27214290.
  2. Lehman AJ, Fitzhugh OG. 100-Fold margin of safety. Assoc Food Drug Off US Q Bull. 1954;18:33–35. [PMID なし; 引用形式: Semantic Scholar 収録]
  3. Vermeire T, Pieters M, Rennen M, Bos P. Probabilistic assessment factors for human health risk assessment: a discussion paper. Critical Reviews in Toxicology. 1999;29(5):439–490. doi:10.1080/10408449991349256. PMID: 10521133.
  4. JECFA (Joint FAO/WHO Expert Committee on Food Additives). General guidance for the preparation of safety evaluation by the Joint FAO/WHO Expert Committee on Food Additives. WHO Food Additives Series. Available at: https://www.inchem.org/documents/jecfa/jecmono/v08je01.htm
  5. Calabrese EJ, Baldwin LA. Defining hormesis. Hum Exp Toxicol. 2002;21(2):91–97. doi:10.1191/0960327102ht217oa. PMID: 12102503.
  6. Calabrese EJ, Baldwin LA. Hormesis: U-shaped dose responses and their centrality in toxicology. Trends Pharmacol Sci. 2001;22(6):285–291. doi:10.1016/S0165-6147(00)01719-3. PMID: 11395156.
  7. Renwick AG. Data-derived safety factors for the evaluation of food additives and environmental contaminants. Food Addit Contam. 1993;10(3):275–305. doi:10.1080/02652039309374152. [PMID なし; Food Additives and Contaminants 誌収録]