リード
育児記録とは、子どもの記録だ、と思っていた。
しかしある日気づく。記録の中に、自分がいる。子どもが初めて笑った日の短い一行に、「今日はあまり眠れていない」と添えてある。午前二時の授乳記録には時刻だけがある。入園の朝の写真の隅に、自分の指が写っている。
子どもの成長記録は、親自身が変容した時代の地層でもある。この記事は、育児期に親が経験する「自分の物語の書き換え」について書く。そしてMemoriコラム全100本のしめくくりとして、記録という行為の意味をもう一段引いた視点から問い直したい。
自伝的記憶とは何か
人が「自分の人生」を語るとき、単に出来事を再現しているわけではない。記憶は固定された記録ではなく、語るたびに再構成され、現在の自分の状態と文脈によって色や意味が変わる。これが自伝的記憶: 自分自身の人生の出来事に関する記憶。固定された録画ではなく、思い出すたびに現在の自分の文脈で意味づけし直される(autobiographical memory)の特性だ。
Fivushは2008年の論文で、家族内の回想(family reminiscing)が個人の自伝的記憶の構築に深く関与することを示した [1]。幼い頃に養育者と「過去の出来事をどう語るか」を共有することが、その後の人生で自分の物語をどう組み立てるかの土台になる。親が子どもと「あのとき、こんなことがあったね」と語り合う行為は、子どもの記憶の発達を支えるのと同時に、親自身の自伝的記憶を再構成する場でもある。doi:10.1177/1750698007083888。
自伝的記憶の発達研究では、「childhood amnesia(幼児期健忘)」——多くの人が3〜4歳以前の出来事を記憶していない現象——が長く議論されてきた。Fivush らの一連の研究が示すのは、この記憶が単に「消えた」のではなく、言語と物語という形式で再符号化されなかったために想起しにくくなっているという解釈だ [1]。親が子どもと過去を語り合う習慣は、この再符号化を助ける [1]。
自伝的記憶が「単純な回想」ではなく「現在の自己を維持するための能動的な作業」であることは、Annual Review of Psychologyに掲載されたFivushの2011年論文でも論じられている [2]。PMID: 20636128。
親になることという発達的転換
McAdamsとMcLeanは2013年の論文で、narrative identity: 過去・現在・想像された未来を一本の物語として統合した自己理解。人が「自分とは誰か」を語るときの形そのもの(物語的アイデンティティ)を「再構成された過去・現在・想像された未来を統合した、内在化され進化し続ける人生物語」と定義した [3]。doi:10.1177/0963721413475622。
人生物語は一度完成するものではない。新しい出来事が加わるたびに、過去の意味も書き換わる。子どもが生まれるという出来事は、この物語の書き換えの中でも、特に大規模なものだ。「親になる前の自分」と「親になった後の自分」は、連続しているが同一ではない。
この転換に名前をつけた研究者がいる。Athanは2020年の論文でmatrescence: 母親になる過程で起きる身体的・心理的・社会的な発達的転換を指す用語。思春期(adolescence)と並ぶ人生の大きな移行期と位置づけられる(マトレッセンス)という概念を提唱し、母親への移行を、思春期(adolescence)と同様の、身体的・心理的・社会的な発達的転換として論じた [4]。PMID: 32378941。doi:10.1037/amp0000623。それまで「母親の適応問題」や「産後うつ」として病理的枠組みで捉えられていた揺らぎや自己喪失感を、発達の必然として再位置づけする視点だ。母親に限らず、親になる人全般が経験しうるこの転換は、育児記録の「書き手の変容」をも説明する。
Eriksonのgenerativityと、次世代への関心
エリクソンが提唱した発達段階論の中で、育児期の多くの親が経験するのは、中壮年期の課題である「生殖性(generativity: エリクソンが定式化した、次世代の育成や社会・文化への貢献を通じて自分が後に残るものに関心を向ける成人期の発達課題)対停滞」だ。generativityとは、次の世代を生み育て、社会や文化に貢献することへの関心であり、「自分が作り出したものや関わった人々が、自分の死後も続いていく」という感覚に関わる [5]。
子どもを育てることは、最も直接的なgenerativityの実践だ。しかしエリクソンが強調したのは、子どもを産む・育てるというバイオロジカルな意味だけではなかった。アイデアを育む、人を教える、コミュニティを作る——すべてがgenerativityの表現になりうる。育児記録を丁寧につけること、子どもとの対話の中に記憶を紡ぐこと、それを後世に残すことは、generativityそのものの一形態とも言える。
Eriksonが「Childhood and Society」(1950)で定式化したこの概念は、後の発達心理学の研究の基礎となり、McAdamsらによって「generative scripts(次世代への責任感を軸にした物語パターン)」として実証的に検討されてきた [3,5]。
親の物語の中の「育児期」という章
記事15では、育児記録の「最終配達先」として、親自身・成長した子ども・家族の歴史の三つを挙げた。この記事が問いたいのは、その前段——「育児期を生きた親自身が、その時期をどう物語化するか」だ。
McAdamsらの研究が繰り返し示してきたのは、自分の人生物語の中に「redemptive sequence: つらい体験を経て何かを得た・成長した、と意味づける物語の型。これを使える人は精神的健康指標が高いとされる(苦境からの意味の回収)」を見出せる語り手ほど、精神的健康・幸福感・成熟が高い傾向があるということだ [3]。言い換えれば、育児期の困難——睡眠不足、自己喪失感、不安、葛藤——を「ただ大変だった」で閉じるのか、「あの時期があって、自分はこうなった」と接続できるのかが、その後の人生の質に影響しうる。
これは「苦しかった経験を無理に肯定的に語れ」という処方箋ではない。Athanが指摘するように、matrescenceの揺らぎや喪失感は実在するものであり、それを軽くみなすことは誠実ではない [4]。重要なのは、その経験が「外部の出来事」ではなく「自分の物語の一章」として内在化されることだ。
育児記録は、この内在化を助ける道具になりうる。三行の日記でも、写真一枚でも、「あの日の自分」を現在の自分とつなぐ媒介になる。Fivushの研究が示したように、自分の過去を語り直すことは、現在の自己を安定させる作業だ [1,2]。
記録とは何か、という問いの100本目の答え
このコラムは100本の記事を通じて、0〜6歳の育児のさまざまな側面を、エビデンスに基づいて語ってきた。睡眠、食事、言語発達、愛着、ワクチン、スクリーンタイム、家族の葛藤、メンタルヘルス、仕事との両立、そして記録の意味。
記録という行為を、何度もテーマとして取り上げてきた。記録は過去を保存する。記録は比較の道具ではなく、その子自身の時系列の中にある。記録はいつか誰かに届く。
最後に、もう一つの視点を加えたい。
記録とは、語り手が自分自身を確認する行為だ。
子どもが成長するにつれ、育児は記録されにくくなる。「ちゃんと育てている」という手応えが日々の記録から離れ、長い時間軸の中で薄まっていく。でも、記録を振り返れば、そこに証拠がある。暮らし続けた証拠。変容し続けた証拠。一年前と違う親になっている証拠。
子どもの記録は、親の物語でもある。二つは最初から、分けられない。
まとめ
育児期の親は、子どもの発達と並走しながら、自分自身の発達段階も経験している [4,5]。その時期の記録は、子どもに届く前に、まず親自身の自伝的記憶の中に刻まれる [1,2]。将来それを語り直すとき、「育児期という章」がどう位置づけられるかは、その後の人生物語の質に関わりうる [3]。
記録することは保存ではなく、語りかけることだ。過去の自分へ、未来の子どもへ、まだ見ぬ誰かへ。それを続けてきたことの意味は、書き終えたあとに少しずつ見えてくる。
References
- Fivush R. Remembering and reminiscing: how individual lives are constructed in family narratives. Memory Studies. 2008;1(1):45–54. doi:10.1177/1750698007083888
- Fivush R. The development of autobiographical memory. Annu Rev Psychol. 2011;62:559–582. PMID: 20636128. doi:10.1146/annurev.psych.121208.131702
- McAdams DP, McLean KC. Narrative identity. Curr Dir Psychol Sci. 2013;22(3):233–238. doi:10.1177/0963721413475622
- Athan AM. Reproductive identity: an emerging concept. Am Psychol. 2020;75(4):445–456. PMID: 32378941. doi:10.1037/amp0000623
- Erikson EH. Childhood and Society. New York: W.W. Norton; 1950.