災害時、子の情報を取り出せる場所はあるか

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対象
乳幼児を持つ保護者、特に災害リスクが高い地域に住む家庭
文字数目安
2,100字
ステータス
ドラフト v1

リード

2011 年 3 月 11 日、東日本大震災が起きた。津波が保健センターを流し、母子健康手帳の交付台帳が失われた自治体がある。母親が避難先でわが子の予防接種歴を問われたとき、手元に何もない、という状況が生じた。

これは過去の話ではない。熊本地震(2016 年)でも、被災した保健センターが機能を失い、乳幼児健診や予防接種記録の確認が困難になった事例が報告されている。日本は地震・水害・台風のリスクが高い国であり、「いつか起きるかもしれない」は、多くの地域で「いつ起きてもおかしくない」に近い。

では、子の情報をどこにどう残しておくと、非常時に取り出せるのか。この問いをデータと制度の両面から考えたい。


母子健康手帳と災害 — 紙の脆弱性と強さ

日本の母子健康手帳は、妊娠期から就学前にかけての健康記録を一冊にまとめた世界的にも独自の制度だ。Takeuchi et al.(2016)は母子健康手帳の歴史・内容・有用性を包括的にレビューし、1947 年の導入以来、乳幼児死亡率の大幅な低下と並走してきたことを示している [1]。保護者と医療機関が共有する記録として機能することが、その価値の核心にある。

しかし紙の手帳は、物理的な脆弱性を持つ。水害・火災・津波では手帳そのものが失われる。東日本大震災後に宮城県で実施された調査では、医療機関が出産周辺期の女性を対象に事後調査を行い、被災が妊産婦の健康管理に与えた影響を記録している [2]。行政側の記録が失われる一方で、個人が持つ手帳が「唯一の情報源」として機能した事例は、手帳の意義を逆説的に際立たせた。

同時に、自主避難した保護者が避難先で「手帳を持ってきたが受診先に情報が伝わらない」「再発行ができない」という問題に直面した事例も記録されている。紙の強さ(オフライン参照可能)と弱さ()は表裏一体だ。

熊本地震後の母子保健対応を検討した報告でも、被災後の長期的な母子保健問題として、乳幼児健診の中断や予防接種スケジュールの乱れが挙げられた [3]。


デジタル化の議論 — 冗長化の設計として

母子健康手帳のデジタル化は、2020 年代に入り国内でも本格的に議論されるようになった。厚生労働省は 2021 年にデジタル化の方向性を検討する資料を公表しており [4]、自治体レベルでは電子交付の試験的導入が進んでいる。

デジタル化の主なメリットは、(redundancy)だ。クラウド上に保存された記録は、物理的な手帳が失われても参照できる。医療機関間のデータ連携が可能になれば、避難先でも記録が活用できる。

ただし、デジタル化はリスクをゼロにするわけではない。大規模災害では通信インフラが断絶し、スマートフォンの充電も困難になる。停電が続く状況でクラウドにアクセスできない事態は、東日本大震災・熊本地震の双方で現実に起きている。デジタルへの一元化は、紙と異なる単一点障害を生む。

理想的な設計は、「紙とデジタルの冗長化」だ。手元の紙は物理的損失に弱いが通信不要で参照できる。デジタルは物理損失に強いが通信障害に弱い。二つを組み合わせ、かつデータを複数の場所(端末・クラウド・印刷物)に保持しておくことが、冗長性の観点から合理的だ。


家族内での情報共有 — 非 tech 者を含む設計

災害時のもう一つのリスクは、情報を持っている人間が現場にいない状況だ。保護者が被災し意識を失った、避難先で子と引き離された、といった事態では、祖父母・親族・保育施設の職員が子の情報にアクセスできるかどうかが重要になる。

内閣府の防災基本計画では、要配慮者(妊産婦・乳幼児を含む)への支援として情報の把握と共有が明記されているが [5]、実際の情報共有の仕組みは各家庭の自助に委ねられている部分が大きい。

実践的な観点からは、次の三点が有効とされている。


記録することの意味を問い直す

育児記録の目的は、成長の可視化だけではない。医療情報・予防接種歴・アレルギー・発達の経過を時系列で持っておくことは、平時には「たまに見返す記録」でも、緊急時には「子を守るための情報」になる。

Memori のような記録アプリは、タイムラインに写真や体調を残すと同時に、複数デバイスでの参照や家族間の共有を可能にする設計を持つ。写真の整理とアルバムという文脈だけでなく、緊急時に情報を取り出せる冗長なリポジトリとして位置づけると、記録の動機は少し変わる。

「残しておいてよかった」という言葉は、穏やかな日常の文脈から出ることが多い。が、その言葉が切実な文脈から出る可能性に備えるのも、記録の一つの理由だ。


まとめ

母子健康手帳の歴史と東日本大震災・熊本地震の事例は、紙の記録の不可欠性と脆弱性を同時に示す。デジタル化は冗長化の一つの軸だが、通信インフラへの依存という別の脆弱性を持つ。

結論は「どちらか」ではなく「両方を、複数の場所に」だ。緊急連絡カードという低技術の解決策と、クラウド記録という高技術の解決策を組み合わせることが、非常時の情報アクセスを確保する現実的な設計になる。

災害は予告なく来る。記録の設計だけは、今日できる。


References

  1. Takeuchi J, Sakagami Y, Perez RC. The mother and child health handbook in Japan as a health promotion tool: an overview of its history, contents, use, benefits, and global influence. Glob Pediatr Health. 2016;3:2333794X16649884. doi:10.1177/2333794X16649884. PMID: 27336022
  2. Yoshii C, Nakamura T, Hori C, et al. Report on maternal anxiety 16 months after the Great East Japan Earthquake disaster: anxiety over radioactivity. Glob J Health Sci. 2014;7(1):52–62. doi:10.5539/gjhs.v7n1p52. PMID: 25363115. PMC: PMC4825496
  3. Ishii K, Nishi D, Hamazaki K, et al. Prolonged maternal and child health, food and nutrition problems after the Kumamoto Earthquake. Int J Environ Res Public Health. 2021;18(5):2309. doi:10.3390/ijerph18052309. PMID: 33652731. PMC: PMC7956302
  4. 厚生労働省子ども家庭局母子保健課. 母子健康手帳、母子保健情報等に関する資料. 2021. https://www.mhlw.go.jp/content/11908000/000942846.pdf
  5. 内閣府. 防災基本計画(令和5年5月修正). 2023. https://www.bousai.go.jp/taisaku/keikaku/pdf/kihon_basicplan_R05.pdf