リード
母子手帳の保管期間について、調べたことがあるだろうか。
自治体の案内を見ると、おおむね子が成人するまで(18 歳前後)保管が望ましい、という記述に行きあたる。一方で、その後どう扱えばよいかについては、ほとんど何も書かれていない。
20 歳を過ぎた子の母子手帳は、誰のものなのか。捨てていいのか、本人に渡すのか、家族の歴史として保管し続けるのか。
これは母子手帳に限らない。スマホに溜まった写真、育児ログ、保育園の連絡帳、健診結果。現在せっせと残している育児記録には、まだ「最終配達先」が決まっていない。本稿では、まだ来ない未来の問いを、今のうちに少しだけ整理しておく。
そもそも母子手帳は誰のための制度か
母子健康手帳は世界に先駆けて日本で 1948 年に交付が始まった、母子の健康記録を一冊に綴じた行政文書である。前身の妊産婦手帳(1942 年)と乳幼児体力手帳が、児童福祉法施行を機に統合されて誕生した [1]。1965 年の母子保健法施行により現在の名称となり、現行制度は母子保健法 16 条にもとづいて市町村が交付している [1]。
つまり母子手帳は、もともと戦後の栄養失調・感染症のなかで母子のいのちを守るための公衆衛生ツールとして設計された。設計時点で「成人後どう扱うか」は範囲外で、保管期間に関する明文化された全国基準が存在しないのは、この制度の起源を考えれば自然なことだ。「成人まで保管」という案内の多くは慣行的な目安にすぎず、その先は家庭の判断に委ねられている [要出典: 自治体の母子手帳保管期間案内の明文化された出典]。
育児記録の「宛先」は 3 つある
記録の使い道を考えるとき、宛先は大きく 3 つに分けられる。
1. 親自身の記憶のため
その日の食事、寝た時間、機嫌、ふとした言葉。多くは親の側の安心のため、忘れたくないという欲求のために書かれる。読者は親自身で、本人を含む他者は想定していない。
老年精神医学の古典的研究としては Butler の「life review」がある。Butler は 1963 年の論文で、高齢期に自然に起こる人生回顧のプロセスを「過去の経験を意識的にふり返り、未解決の葛藤を統合する内的作業」と定義し、これがうつ: 気分の落ち込みや意欲低下が続く精神状態で、治療可能な疾患のひとつ・人格的成熟・人生終盤の意味づけと関連すると論じた [2]。育児記録を後年読み返すという行為も、本質的にはこの life review に近い心理的機能を持ち得る。
2. 成人した本人に渡すため
「これがあなたの最初の数年だよ」と渡す前提で書かれた記録。読者は 20 年後の本人になる。アルバム、節目の写真、本人宛ての手紙的な記述がここに入る。
ここに関係するのが、自我発達心理学の McAdams らによる「narrative identity(物語的アイデンティティ)」研究である。McAdams は、成人後のアイデンティティは「再構成された過去・現在・想像された未来を統合する内在化された人生物語」によって形成されると論じている [3]。同氏らは、この物語的アイデンティティ: 人が自分の人生を一貫した「物語」として語ることで形成される自己のあり方の素材が幼少期に養育者と交わした会話・写真・記録に深く根ざしていることも指摘しており、本人に渡される育児記録は、本人が自分の物語を構築するうえでの一次資料に近い [3]。
3. 家族の歴史として残すため
孫の代まで含めた、家系の記録としての位置づけ。読者は将来の家族で、特定の個人ではない。世代をまたいで残す前提のもの。
世代を超えた記憶の伝達については、Hirsch が「postmemory: 前世代の体験を直接経験せずに写真・物語などの媒介を通じて引き継いだ、二次的な世代間記憶」という概念で論じている。これは、後の世代が前世代の経験を、物・写真・物語といった媒介物を通じて受け継ぐ構造を指す [4]。家族写真や記録は、この postmemory のための物質的な手がかりとして機能する。
この 3 つはしばしば混ざる。同じノートに、親自身のための愚痴と、本人に渡す前提の記述が同居している、ということも珍しくない。混ざること自体が悪いわけではないが、「主たる宛先」を意識しているかどうかで、書き方は静かに変わる。
宛先によって、トーンは変わる
ここに、本稿のいちばん伝えたい論点がある。
「最初から本人に渡す前提」で書くと、記録のトーンが変わる。
- 病名・診断名の書き方が、より中立になる
- 育児中の愚痴、配偶者への不満、本人への一時的な苛立ちが、自然と削られる
- 「この子は手がかかる」という表現が、「この時期はとくに体力を要した」に置き換わる
これは自己検閲ではあるが、読み手を想定するすべての文章で起きる、ごく自然な調整でもある。
逆に、「親自身のためだけ」と割り切れば、もっと正直に書ける。「今日は本当に限界だった」「保育園に預けて泣いた」と書ける。正直さは、宛先を絞ったときに獲得できるもので、誰に読まれてもよい記録は、しばしば毒にも薬にもならなくなる。
どちらが優れているという話ではない。3 つの宛先を最初から完全に分ける必要はないが、「この記述は誰宛か」を時々問い直すと、後から困らずに済む。
「渡す」と「残す」は別の判断
成人した子に記録を渡すかどうか、という問いは、しばしば「親が決めるもの」と前提されている。だが、渡すか・受け取るかは、本人の選択でもある。
読みたいと思う子もいれば、読みたくない子もいる。20 歳の時点では関心がなく、30 歳で子を持ったときに初めて読みたくなる、ということもある。離婚や家族関係の変化のなかで、当時の記録を見ることが本人にとって重荷になる場合もある。
ここで提案したいのは、二段階の判断だ。
- 残すかどうかは、親の側で先に決められる
- 渡すかどうか・いつ渡すかは、大人になった本人と相談する余地を残しておく
「成人したら自動的に渡す」と決めてしまわず、「渡すかどうかは、その時の本人と話す」という態度を取れることが、記録の宛先の柔軟性につながる。
デジタル記録の長期保存という、別の難題
ここまでは「渡す/残す」という意思の問題だった。しかし、デジタル記録には意思とは別の現実がある。
20 年後、今使っているアプリは存在するだろうか。クラウドサービスは続いているだろうか。ファイル形式は読めるだろうか。
これは個人の努力では解決しきれない、HCI 研究者がここ 15 年議論してきた構造的な問題でもある。Massimi らは「HCI at the end of life」を CHI で提起し、人の死とそれに続くデジタル遺品の継承を、設計者の問いとして扱う「thanatosensitivity: 死と死後を意識してシステムやサービスを設計するという、HCI 分野の設計思想」という考え方を提案した [5]。後続の Brubaker と Callison-Burch は、Facebook の Legacy Contact 機能の設計・実装研究で、誰がアカウントを管理するかという post-mortem stewardship の枠組みを示している [6]。
家族側のデザイン研究としては、Odom らの「Technology Heirlooms」が代表的である。同研究は 8 家族へのフィールドワークから、デジタルの相続物には物理的な実体感・取り出しやすさ・選択的に隠せる仕組みが必要だと結論している [7]。サービスは終わるし、フォーマットは陳腐化する。10 年前のガラケーで撮った動画を、今、すぐに再生できる人がどれだけいるかを思い出せばいい。
対策の方向は、ざっくり二つある。
エクスポート可能性を意識する
使っているアプリやサービスから、標準的な形式(JPEG、MP4、PDF、CSV、Markdown など)で書き出せるかを、たまに確認する。書き出せる形にしておけば、サービスが消えても引っ越せる。Memori のような育児記録アプリを選ぶ際にも、「中身を持ち出せる構造になっているか」は、機能の華やかさ以上に効いてくる観点だ [7]。
一部を物理に落とす
20 年残したい記録の核については、紙に印刷する選択肢がある。冊子化は商業サービスを使う必要すらなく、家庭用プリンタと製本テープでも形になる。Petrelli と Whittaker の家庭メメント研究も、物理的な思い出の品は所有者の主観的価値が高く、家庭内で長期にわたり保持されやすいことを示している [8]。
「全部を紙にする」ではなく、「核となる数十枚と、見開き 1 冊分の文章を紙にする」で十分実用的だ。
行動レベルへの落とし込み
未来の話なので、明日できることは少ない。それでも、いくつかある。
- 今書いている記録の宛先を、心の中で一度仕分けてみる(「これは自分用、これは本人用」)
- 使っているアプリのエクスポート機能の有無を一度確認する [7]
- 1 年に一度、その年の核になる写真と文章を、紙に 1 枚だけ落とす [8]
これらは「成人した子に渡すため」の準備というより、親の側が記録の意味を整理するための小さな儀式として機能する。
まとめ
育児記録の最終配達先は、はじめから決まっているわけではない。親自身か [2]、成人した本人か [3]、家族の歴史か [4]。書きながら、暮らしながら、ゆっくり決めていける。
決めなくてもよい、と引き受けることもできる。「残すかどうかは自分で決める。渡すかどうかは大人になったあなたと話す」と先送りにすることは、無責任ではなく、むしろ相手の意思を尊重する態度に近い。
母子手帳が設計された 1948 年、設計者たちは戦後の母子を守ることに集中していて、その手帳が 80 年後にどう読み返されるかは想定していなかった [1]。私たちが今書いている記録もたぶん同じで、20 年後の読まれ方は、私たちにはまだ見えない。
今日の 3 行のメモが、20 年後どこに届くかは、まだ誰にもわからない。わからないままに、それでも書き留めておく。記録の宛先がはっきりするのは、ずっと先でいい。
References
- 厚生労働省. これまでの母子健康手帳の主な改正の経緯(妊産婦手帳~母子健康手帳). 厚生労働省母子保健課資料. https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000001oujo-att/2r9852000001ounf.pdf
- Butler RN. The Life Review: An Interpretation of Reminiscence in the Aged. Psychiatry. 1963;26(1):65–76. doi:10.1080/00332747.1963.11023339. PMID: 14017386.
- McAdams DP, McLean KC. Narrative Identity. Curr Dir Psychol Sci. 2013;22(3):233–238. doi:10.1177/0963721413475622.
- Hirsch M. The Generation of Postmemory. Poetics Today. 2008;29(1):103–128. doi:10.1215/03335372-2007-019.
- Massimi M, Charise A. Dying, death, and mortality: towards thanatosensitivity in HCI. CHI '09 Extended Abstracts. 2009:2459–2468. doi:10.1145/1520340.1520349.
- Brubaker JR, Callison-Burch V. Legacy Contact: Designing and Implementing Post-mortem Stewardship at Facebook. Proc CHI. 2016:2908–2919. doi:10.1145/2858036.2858254.
- Odom W, Banks R, Kirk D, Harper R, Lindley S, Sellen A. Technology heirlooms? Considerations for passing down and inheriting digital materials. Proc CHI. 2012:337–346. doi:10.1145/2207676.2207723.
- Petrelli D, Whittaker S. Family memories in the home: contrasting physical and digital mementos. Pers Ubiquit Comput. 2010;14(2):153–169. doi:10.1007/s00779-009-0279-7.