卒乳のタイミング、SNSで決めない

読了時間 約 8 分English version available
対象
0〜2歳半の子の保護者
文字数目安
2,300字
ステータス
ドラフト v2(査読付き論文を中心に出典付与)

リード

「7ヶ月で卒乳しました」「1歳になったので断乳します」「夜間だけまだ続けてます」。SNSのタイムラインを開くと、卒乳に関する投稿が日々流れてくる。家庭の事情を切り取った報告が並ぶうちに、自分の家の選択が遅いのか早いのか、急に判断軸が揺らぐ。

卒乳は、医学的にも社会的にも「正解」が一つに定まらない領域だ。WHO は 2 歳以上までの母乳継続を推奨しているが [1]、これは集団に対する公衆衛生上の指針であり、個別の家庭に下す命令ではない。情報源によって言うことが違うのは、答えがないからではなく、答えの粒度が違うからである。

この記事では、卒乳という判断を「成功/失敗」の枠から外し、「今の家にとって持続可能か」という評価軸で捉え直してみたい。

前提: 推奨は義務ではない

WHO と UNICEF は、生後 6 ヶ月までの、その後は適切なを加えながら 2 歳以上までの母乳継続を推奨している [1,2]。2023 年に改訂された WHO の補完食ガイドラインも、6〜23 ヶ月の児に対して「2 歳以上までの母乳継続」を強い推奨として維持している [2]。

根拠は重層的だ。Lancet が 2016 年に刊行した母乳特集号のシステマティックレビューでは、母乳哺育は乳児の感染症罹患・死亡を一貫して減らし、知能指数の上昇、過体重・2 型糖尿病リスクの低下とも関連していた [3]。さらに、生後 12〜23 ヶ月でも母乳は児のエネルギー必要量のおよそ 35〜40% を供給し、必須脂肪酸やビタミン A の供給源として補完食の弱点を補い得ることが報告されている [2]。

ただし、推奨と義務は違う。WHO の推奨は人口集団に対する公衆衛生上の指針であり、個別の家庭の事情を上書きするものではない [1,2]。を繰り返している、復職時期と重なる、次子を希望している、子の側に強い夜間授乳の依存がある、こうした要因は集団推奨の射程外にある。実際、母乳育児と母親のメンタルヘルスの関連を扱ったシステマティックレビューでは、本人の期待と実際の経験が乖離した場合や、授乳に困難を抱えながら継続を強いられた場合に、抑うつ症状の悪化が報告されている [4]。続けることの益と、続けることの負荷は、同じ秤に乗っている。

日本国内のデータも参考になる。厚生労働省の平成 27 年度乳幼児栄養調査では、生後 1 ヶ月での「母乳のみ」が 51.3%、生後 3 ヶ月での「母乳のみ」が 54.7% と、調査開始以来初めて 5 割を超えた [5]。「いつ卒乳すべきか」に時代を超えた正解はない、というのが誠実な現状認識だ。

自然卒乳と計画卒乳、それぞれの長所と短所

世間でよく対立軸として語られる「自然卒乳」と「計画卒乳」を、フラットに並べてみる。

自然卒乳

子が自分から離乳食・幼児食に主軸を移し、授乳を求めなくなるのを待つ方式。長所は、子のストレスが少ないこと、母体の急激な変化が起こりにくいこと。短所は、時期が読めないこと。1 歳半で離れる子もいれば 3 歳を過ぎても続く子もいて、復職や次子計画と噛み合わないことがある。夜間授乳が長引くと親の睡眠が削られ続ける。

計画卒乳

時期を決めて、段階的に授乳回数を減らしていく方式。長所は、時期がコントロールでき、復職や保育園入園に合わせやすく、夜間授乳から早期に解放されること。短所は、子の側に一時的な情緒不安定が出ることがあること、母体側で乳腺炎のリスクがあり段階的な減量が必要なこと、親が罪悪感を持ちやすいこと。

どちらが優れているかではなく、どちらの長所と短所が今の家に合うか、という比較軸で見るしかない。「自然卒乳が理想」「計画卒乳は不自然」のような価値判断は、いずれも実態を単純化しすぎている

SNSで揺らぐ判断軸

ここで一度、情報源の話に戻りたい。SNS で卒乳の投稿を見るとき、私たちは無意識に「他の家庭の選択」を「自分の家庭への評価軸」として取り込んでしまう。

これは気のせいではなく、データでも示されている。米国の母親 721 名を対象にした Coyne らの調査では、SNS 上で他の親と自分を比較する頻度が高いほど、養育役割の負担感が増し、と社会的サポート知覚が下がり、母親自身の抑うつ得点が高くなるという関連が報告されている [6]。スウェーデンの親を対象にした Glatz らの研究でも、SNS 上の社会的比較の直後にネガティブな感情を経験すると、ストレスや養育自己効力感の低下が観察されている [7]。

「7 ヶ月で卒乳した」という投稿の背後には、その家庭固有の事情がある。職場復帰のタイミング、母体の体調、子の哺乳力、家族のサポート体制。それらは投稿には書かれず、書かれるのは結果だけだ。結果だけを並べて自分の家と比較すると、判断軸が他人の結果に侵食される。

卒乳の判断は、本来、親と子の関係と家庭の文脈の中で決まる。そこに第三者の結果を持ち込むと、判断の主語がぶれる。SNS は情報源として有用だが、判断の代理人にしてはいけない。

親の体と子の側、両方の事情

卒乳の判断を整理するときに見るべき軸を、もう少し具体的に並べてみる。

親の体側: 乳腺炎の既往、夜間授乳による睡眠負債、復職時期、服薬の必要性、次子計画、心身の余裕。

子の側: 離乳食・幼児食の摂取状況、夜間授乳への依存度、授乳に求めているものが栄養か安心か、卒乳期の他の発達課題(イヤイヤ期等)と重なっていないか。

これらを書き出すと、自分の家がどの軸を優先したいかが見えてくる。紙のメモでも Memori のような育児記録ツールでも形式は問わない。判断材料を一度言語化する作業が、判断の質を変える。

「持続可能か」で評価する

卒乳を「成功/失敗」で語る言説は、根拠が薄い。1 歳で卒乳した家庭が成功で、3 歳まで続いた家庭が失敗、というような序列は存在しない。

代わりに使える評価軸が「今の家にとって持続可能か」だ。続けることの負荷と、変えることの負荷を、両方天秤に乗せる。続けるのがしんどいなら変える検討を始める。続けるのが苦でないなら、急いで変える理由はない。先述の母乳育児とメンタルヘルスのレビューが示しているのは、推奨に従うこと自体ではなく、本人の選好と実際の状況とのずれが大きいほど心理的負荷が増えるという構造だった [4]。

この評価軸の利点は、外部の物差しを必要としないことだ。WHO の推奨も SNS の平均値も義母のアドバイスも、参照情報であって決定要因ではない。決めるのは、その家にいる人たちだ。迷うなら助産師の母乳外来やかかりつけの小児科で相談するといい。専門家は処方箋ではなく、判断材料を増やしてくれる存在として使うのが合っている。

卒乳前後を記録する価値

卒乳の前後は、子にも親にも変化が多い。授乳回数の推移、子の入眠パターン、食事量、親の体調や気分。これらを一行ずつ記録しておくと、後から振り返ったときに「なぜそうしたか」が残る。

「○月に夜間授乳をやめた。3 日泣いたが 4 日目から朝まで寝るようになった」「日中の授乳は 1 歳 8 ヶ月まで続けた。子のほうから求めなくなった」。こうした記録は、卒乳という判断が成功か失敗かではなく、どういう過程をたどったかを時系列で保存する。数年後、結果ではなく過程を語れる素材が手元にあるかは、案外大きな差になる。

まとめ

卒乳に時代を超えた正解はない。WHO の推奨は出発点であって到着点ではない [1,2]。自然卒乳にも計画卒乳にも長所と短所がある。SNS で他家の結果を取り込むと判断軸がぶれることはデータでも示されている [6,7]。親の体と子の側、両方を見て「持続可能か」で評価する。

卒乳は、家庭の中で静かに決めていいことだ。SNS でも義母の言葉でも、ましてや本記事でもない。決めるのは、毎日その子と向き合っている人たちで、そのプロセスは記録に残す価値がある。

迷うなら助産師か小児科へ。


References

  1. World Health Organization. Infant and young child feeding (fact sheet). Geneva: WHO; 2023. https://www.who.int/news-room/fact-sheets/detail/infant-and-young-child-feeding
  2. World Health Organization. WHO guideline for complementary feeding of infants and young children 6–23 months of age. Geneva: WHO; 2023. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK596423/
  3. Victora CG, Bahl R, Barros AJD, et al. Breastfeeding in the 21st century: epidemiology, mechanisms, and lifelong effect. Lancet. 2016;387(10017):475–490. doi:10.1016/S0140-6736(15)01024-7. PMID: 26869575.
  4. Yuen M, Hall OJ, Masters GA, et al. The effects of breastfeeding on maternal mental health: a systematic review. J Womens Health (Larchmt). 2022;31(6):787–807. doi:10.1089/jwh.2021.0504. PMID: 35442804.
  5. 厚生労働省. 平成 27 年度乳幼児栄養調査結果の概要. 2016. https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11900000-Koyoukintoujidoukateikyoku/0000134460.pdf
  6. Coyne SM, McDaniel BT, Stockdale LA. "Do you dare to compare?" Associations between maternal social comparisons on social networking sites and parenting, mental health, and romantic relationship outcomes. Comput Human Behav. 2017;70:335–340. doi:10.1016/j.chb.2016.12.081.
  7. Glatz T, Daneback K, Sorbring E. Parents' feelings, distress, and self-efficacy in response to social comparisons on social media. J Child Fam Stud. 2023;32:2812–2823. doi:10.1007/s10826-023-02611-2.