リード
「プラスチック製の哺乳瓶から何百万もの粒子が溶け出している」という研究が2020年に話題になった。マイクロプラスチック、ナノ粒子、E171——こうした言葉が育児メディアに登場するたびに、「子どもに与えていいのか」という問いが生まれる。
しかしその問いに答えるためには、まず「何が分かっていて、何が分かっていないか」を分けて整理する必要がある。リスクを過小評価することも、実態以上に怖がることも、子どもを守る判断の助けにはならない。この記事では、現時点で査読研究が示している事実と、いまだ不確実な領域を、できるだけ正確に切り分ける。
マイクロプラスチックとは何か
プラスチックが物理的・化学的に分解されることで生じる直径5mm以下の粒子を「マイクロプラスチック」と呼ぶ。さらに小さい1μm(マイクロメートル)以下をナノプラスチックと呼ぶことが多いが、定義は研究者間で完全には統一されていない [1]。
2020年、アイルランドのトリニティ・カレッジ・ダブリンの研究チームは、ポリプロピレン(PP)製の哺乳瓶が乳児用ミルクの調製過程でマイクロプラスチックを放出することを Nature Food に報告した [1]。WHO 推奨の手順(消毒・70℃以上のお湯でのミルク溶解・調製後の冷却)に従って10種の哺乳瓶を試験した結果、最大で1リットルあたり1,620万個の粒子が検出された。48の地域の哺乳瓶使用率データを組み合わせると、生後12ヶ月までの乳児が1日あたり平均数十万〜数百万個の粒子を摂取している可能性があるとされた [1]。
この数字は大きく見える。ただし、論文自体が強調しているのは「放出量の定量」であり、「その量が健康に与える影響」は別の問いであることを著者らも明記している [1]。
健康影響の現状 — 分かっていること、分かっていないこと
分かっていること: マイクロプラスチックは人間の体内(胎盤、肺、血液)から検出されており、ヒトへの暴露が起きていることは確認されている [2]。動物実験では高濃度暴露による腸管炎症・酸化ストレス: 体内の活性酸素が増加して細胞や組織を傷つける状態の報告があるが、現実の人間の暴露量と比べてはるかに高い用量での実験が大半だ [2]。
分かっていないこと: 現実の暴露量における長期的な健康影響については、ヒトを対象とした縦断研究が極めて少ない。特に乳幼児期の暴露が成人後のアウトカムにどう影響するかは、現時点では「科学的に未解明」と言うのが正直なところだ [2]。WHO は2019年の報告書で「現在の証拠に基づく限り、現実の暴露量ではヒト健康への確認されたリスクは存在しない」としつつも、データの限界を率直に認めた [2]。
二酸化チタン(E171)— 食品添加物としての別の問題
マイクロプラスチックとは別に、食品添加物のナノ粒子として議論されてきたのが二酸化チタン(E171)だ。食品の白色着色料として菓子・ガムなどに使われてきた成分で、その粒子の一部はナノスケールに相当する。
欧州食品安全機関(EFSA)は2021年、E171の遺伝毒性: DNAや染色体を傷つけることで突然変異やがんを引き起こす可能性のある毒性を否定できないとの評価を発表し、EUは2022年2月から食品への使用を禁止した [3]。遺伝毒性とは、DNAや染色体を傷つける可能性を指す。EFSA の見解は「有害だと証明した」ではなく「安全と断言できなくなった」という表現であり、規制判断としての予防原則の適用である点に注意が必要だ [3]。
日本では現時点でE171の食品への使用は規制されていない。日本の菓子・チューインガムなどで使用されている可能性があり、乳幼児が直接摂取する食品でなければリスクは限定的との見方もあるが、公式な安全性再評価はまだ行われていない [要出典]。
PP 哺乳瓶の使い方で放出量は変わるか
Li ら 2020 の研究結果には、実践的な含意がある。マイクロプラスチックの放出量は、水温と消毒頻度に強く依存する。70℃以上の熱水でミルクを溶かすほど、そして高温高圧での消毒を繰り返すほど、放出量が増加する [1]。
この知見から導かれる現実的な対応としては以下が考えられる。ただし、これらはリスク低減の選択肢であり、「PP 製哺乳瓶は危険だから使うべきでない」という命令ではない。
- ミルクの調製をステンレスや耐熱ガラスの容器で行い、その後 PP 哺乳瓶に移す
- 哺乳瓶への高温熱水の直接使用を必要最小限にする
- ガラス製または PPSU(ポリフェニルスルホン)製哺乳瓶の使用を選択肢として検討する
PPSU は BPA・BPS・フタル酸エステルを含まず、180℃まで形状を保ち、繰り返し消毒にも化学的安定性を示すことが材料研究で確認されている [4]。ガラス製は重く割れやすいという実用上の制約があるが、化学的放出という観点では最も懸念が少ない素材だ。
不確実性との付き合い方
マイクロプラスチック問題は、科学が急速に動いている領域のひとつだ。2020年以降も新しい研究が続々と発表されており、数年後には現在の理解が大きく塗り替えられている可能性がある。
そのなかで親として判断するための基準は、「リスクがゼロか否か」ではなく「現実的な暴露量でどの程度のリスクがあるか」という問いの立て方にある。これはパラケルスス以来の毒性学の基本枠組みであり [5]、ナノ粒子に対しても同じ問い方が有効だ。
ただし、内分泌かく乱物質や遺伝毒性が疑われる物質については、線形の用量反応モデルが成立しない可能性があり、従来の安全係数の枠組みが十分かどうかについては毒性学者の間でも議論がある [5]。この「分かっていない」を率直に伝えることが、誠実な情報発信の最低条件だと考える。
まとめ
PP 製哺乳瓶からのマイクロプラスチック放出は、Li ら 2020 によって定量的に示された事実だ [1]。しかし、その放出量が乳幼児の健康に与える影響は現時点では科学的に未解明であり、「危険」とも「安全」とも断言できない段階にある [2]。
二酸化チタン E171 については EU が予防原則から禁止に踏み切ったが、日本では規制が追いついていない。これを踏まえて家庭でできることは、使用する素材の選択肢を知り、温度依存性の高い暴露経路を意識することだ。科学が不確実であっても、「分かっている範囲でできる対応」は存在する。
References
- Li D, Shi Y, Yang L, et al. Microplastic release from the degradation of polypropylene feeding bottles during infant formula preparation. Nat Food. 2020;1(11):746–754. doi:10.1038/s43016-020-00171-y. PMID: 37128027.
- World Health Organization. Microplastics in drinking-water. Geneva: WHO; 2019. https://www.who.int/publications/i/item/9789241516198
- European Food Safety Authority (EFSA); Younes M, Aquilina G, Castle L, et al. Safety assessment of titanium dioxide (E171) as a food additive. EFSA J. 2021;19(5):e06585. doi:10.2903/j.efsa.2021.6585.
- Eckardt M, Kubicka M, Schrenk D, Pöttler K, Brückner P, Dreolin N, Luter R, Böhm K, Simat TJ. Polyphenylsulfone (PPSU) for baby bottles: a comprehensive assessment on polymer-related non-intentionally added substances (NIAS). Food Addit Contam Part A. 2018;35(6):1115–1127. doi:10.1080/19440049.2018.1448963. PMID: 29537947.
- Grandjean P. Paracelsus Revisited: The Dose Concept in a Complex World. Basic Clin Pharmacol Toxicol. 2016;119(2):126–132. doi:10.1111/bcpt.12622. PMID: 27214290.